1.旋盤ねじ切り替え歯車が最初のKHK標準歯車(1937)

 ■旋盤のねじ切用替え歯車が最初のKHK標準歯車

 ●昭和10年1月(1935年創業)の当時は「旋盤のねじ切用替え歯車」は、各旋盤メーカーが独自に「旋盤ねじ切り替え歯車」製造されて、旋盤と一緒に販売でした。創業者小原富蔵は、創業当時数社の旋盤メーカーから「旋盤の替え歯車」の旋盤加工・歯切りを受注して加工工賃で会社の経営が成り立っていたと思われる。

 昭和12年頃(1937)に創業者小原富蔵が加工受注していた「旋盤の替え歯車」を各旋盤メーカー共通(標準化)の「旋盤ねじ切り替え歯車」を考案、「小原歯車工所の標準旋盤替え歯車」として在庫販売(見込み生産)を開始しました。

 その後、旋盤の大きさに合わせたDP20~DP4「チェンジギャー(替え歯車)」製品化しました。旋盤メーカーは、小原歯車工所の「旋盤の替え歯車」を旋盤と一緒に販売か、旋盤購入者が工具店から小原歯車工所の「旋盤の替え歯車」を別に購入しました。この小原歯車工所の「旋盤の替え歯車」が「KHK標準歯車」の原点です。

●初期のベルト掛け旋盤の替え歯車を利用してねじ切り加工をする。

 

●小原歯車工所自家用車ダットサン広告(TK小原富蔵のイニシャルとチェンジギヤと書かれてる)

 

 ●旋盤の替え歯車の素材写真の右二人の子供は、小原信治(後)小原誠治(前)です。後ろに「旋盤替え歯車」の素材があります。

 

●戦後(1945年後)の一時的に製造販売した自社製品手動のグラインダー・旋盤のバイト製造の「手動ふいご」(当時社内でも使用)、写真は有りませんが、小原昭治の記憶では「手動のボール盤」がありました。当時はモーター付の製品は、技術的・高価で製造不可でした。

●手動のグラインダー・手動ふいご

 

 ●以下の動画は、1953年(昭和28年)ごろに埼玉新聞社が埼玉文化ニュースで「歯車は機械の心臓」タイトルで小原歯車工業㈱が紹介された最古動画(35mmフイルム・音声付き=トーキー)です。工場は、埼玉県川口市錦町工場で、創業者小原富蔵と製品(旋盤替え歯車が有ります)・設備が紹介されてます(動画約1分40秒)。