■何故下請け歯切り屋から自社製品KHK標準歯車で歯車メーカーへ
●小原歯車工業㈱は、創業当時から戦後までは「旋盤ねじ切り替え歯車」が自社製品として売り上げの主流に成っていましたが、旋盤のねじ切り装置が旋盤に内臓されて「旋盤ねじ切り替え歯車」が不用に成った旋盤が支流に成りました。小原歯車工業㈱は、親会社図面指定の歯切り・材料から旋盤・歯切り・熱処理等の加工工程行なう下請けの「歯切り屋」=「受注歯車加工工賃仕事」が多くなりました。下請け仕事は、親会社の注文量が減少・設計変更・他の外注に変更されます。小原昭治が最初に働いた(1962年入社)職場は、小原歯車工業㈱にスイス製の歯切り盤SH100導入計画(購入価格月商相当の約3000万円)で同じ機械がある親会社の日立亀有工場に技術を取得目的で働きました。「下請け歯切り屋」の厳しさを小原歯車工業㈱の納入担当者から聞きました。
その後小原昭治は、小原歯車工業㈱の現場歯切り部署でホンダスパーカブのキックギヤー・日野コンテッサーのタイミングギヤー等の歯切り作業をしました。営業担当者から親会社からの加工賃の値引きが強制されて、歯切り下請けの弱さ知りました。「下請け歯切り屋」から自社歯車製品を販売する「歯切り屋⇒歯車メーカー」になる事が小原歯車工業㈱の生き残る会社経営に変えた二代目社長小原信治です。
初期の「KHK標準歯車」販売促進の戦い記録は「(創業80周年記念誌の61~64ページ・112~113ページ・135~138ページ・149~152ページ・155ページ)」で語っておりますので、是非 「創業80周年記念誌」を見て頂ければ幸です。
